翻訳と辞書
Words near each other
・ 豊楽寺
・ 豊楽寺 (岡山市)
・ 豊楽寺薬師堂
・ 豊楽殿
・ 豊楽門院
・ 豊楽院
・ 豊榮神社
・ 豊榮神社・野田神社
・ 豊橋
・ 豊橋 (橋)
豊橋 (水雷母艦)
・ 豊橋ORS
・ 豊橋まつり
・ 豊橋エコテクノレース
・ 豊橋オフレールステーション
・ 豊橋カレーうどん
・ 豊橋グランドホテル
・ 豊橋ケーブルネットワーク
・ 豊橋ステーションビル
・ 豊橋ダッシュ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

豊橋 (水雷母艦) : ミニ英和和英辞書
豊橋 (水雷母艦)[とよはし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はし, きょう]
 【名詞】 1. bridge 
水雷 : [すいらい]
 (n) (sea) mine
: [かみなり]
 【名詞】 1. thunder 
: [はは]
 【名詞】 1. (hum) mother 
母艦 : [ぼかん]
 (n) mother ship
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

豊橋 (水雷母艦) : ウィキペディア日本語版
豊橋 (水雷母艦)[とよはし]

豊橋(とよはし)は、日本海軍水雷母艦1906年(明治39年)4月4日に韓崎に次いで第2潜水艇隊の母艦となった。
== 艦歴 ==
日清戦争当時、商船の不足を補うために日本政府は海外から十数隻の艦船を日本郵船名義で購入、輸送任務などに就かせた。本艦もそのうちの1艦で元はLondon&Glasgow造船会社で1888年(明治21年)12月に進水、1889年(明治22年)に竣工した英ジェンキンス社所有、フリントシア(Flintshire)、2,879総トンである。日清戦争中は陸軍に徴用された。
戦争終了後に多くの船はそのまま民間に払い下げられたが、海軍では水雷母艦(水雷艇、駆逐艦の母艦)が切望され、本艦は1897年(明治30年)12月に所属を日本海軍に移管、艦名を「豊橋丸」から「豊橋」とした。翌1898年(明治31年)3月には水雷母艦に類別された。わずか3,000トン足らずの小型艦だったが台湾中国本土沿岸で活動した。日露戦争に従事ののち1912年(大正元年)8月28日、二等海防艦となる。
1914年(大正3年)4月1日に除籍、艦名は「豊橋丸」に戻り同年8月16日に雑役船(水雷艇母船)となるが、翌1915年(大正4年)7月12日に売却され海運救済会の練習船となった。改装され白い船体となった「豊橋丸」は日本各地を回ったという。1922年(大正11年)4月22日に座礁、浮揚ののち修理されたが老齢のため11月に売却された。その後も商船(栄徳丸など)や北洋漁業の蟹工船として昭和10年代まで活躍したという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「豊橋 (水雷母艦)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.